今回より修験道を志した当時を振り返ってみることにする。
 大峯山修験道・吉野山修験道に入る前はこの阿蘇の地では阿蘇山修験道がありその阿蘇山周辺には
数多くの宿坊・寺院があった。それは主に天台宗であった。古文書によれば三十七坊五十一庵が建ち並
びそれは修験道による別世界と言えるものであったようだ。

 幼少期にはこの西厳殿寺のある古坊中で小学三年生までを過ごし、この西厳殿寺のお堂に石段を登っ
て行ってそこに祭祀されている仏像にお詣りしたり、時にはその石段で雪合戦をしていたのを思い出す・・
 この西厳殿寺の裏に住んでいた為かこの頃から信仰心と云うものがあったのではないかと思う、それ
は母が神さん信仰をしていたせいもあるのかも知れないし、5歳の時の霊体験があったからではないか
と思う。そして小学三年生の春に父の転勤で隣町に転校となりこの年から特別な出会いが起きて信仰
に傾いて行くことになった。
 そして霊能者と出会いよくその祈祷院にお邪魔してまた修験道の僧侶との出会い、住職との出会い等
が頻繁に起きて学校の勉強よりもそちらの方が自分には合っているのではないかと考え始めていた。
もちろん親は猛反対であり日々うるさく勉強をしなさいと言われていたのを思い出す・・・・・
 その当時のお上人さんが言われたのは、わたしは幼少期には病気ばかりしていて母からお寺に預けら
れて修行に励むことになったと言われた。この人は霊能力がありうちの者に霊能力がありますね、と見抜
いたたったひとりのお上人(僧侶)さんであった。
 それからその霊能者の先生や行者の人と修行について行ったり、滝行も行なうようになり親は気が休
まることはなかったようだ・・・・
 そして高校生になると占いの勉強も多くなって行き他人の悩みの相談なども受けていたのを思い出す。

 それから社会人となって当時の師匠との劇的な出会いが起き、街占師の誕生となったのである・・・・・

 前置きが長くなったが修験道に正式に入ったのは40歳を過ぎていた、そして入ってみれば年齢は20代
から70歳代と幅広く多くの人が修行をしに来ているのだ。
 最初は吉野山での修行で、この時は下調べはしていたのだがケーブルカーを降りてもタクシーもなく
ましてやバスもなく徒歩で参上まで歩く羽目になってしまった。そしてこの日は天候は雨、風も強くて体
半分ズブ濡れになりながら歩いてやっとの想いで吉野山山上の寺院についたのであった。あとで考え調
べてみてわかったことは吉野山は桜満開以外は雨ばかり、タクシーは電話して呼ぶとのことで山である
からすぐにはこないらしいとの事。
 
 その後長い修行の道を選んだ為に(短い修行は1年間)得度式には3年過ぎて出席することができた。
 そしてこれより修行の場は大峯山と吉野山に及び役行者に少しでも近付くことを願い励んで行った。

 以前にも書いたが、大峯山に登るのは六回目のとき山中前方でドカーンと云う音がしたのである、今
からそこを通過して上る途中のことである、これは亥かまたは他の獣かと思い、現れたらこの手に持っ
ている長錫杖で戦うと決めたのだがその真横を通過した緊張の瞬間、何にも起こらずホッとしたのであ
った。あれは一対なんなのだったのかと思ったのであった。もう日も暮れて辺りは真暗であり懐中電灯
の灯りだけが頼りで誰も通らずひとりで大峯山上目指して登り到着したのは夜の9時ころだったと思う。
開山している時なのでその日は宿坊に泊まることになった。やっと落ち着けた瞬間であった。

 
 次の日は午前3時に法螺貝の音で目が覚めた。聞けば高野山から行者が二人奥駆けに来ているとの
ことであった。ここでは役行者だけでなく弘法大師も修行されており修験道を志す人の聖地でもある。

 急いで身支度をして大峯山寺に参詣する。他には人は住職と修験者数名だけで思うが侭に行が出来
る。その後西の覗きを体験して大峯山を降りて洞川温泉へと向かう。
 ここは大峯山登山口の温泉であり無色透明のお湯が湧き出ている。宿の御主人に声を掛ければ、温泉
にどうぞとのお言葉を頂き有り難く温泉に入ることが出来た。
 それから宿の人にお礼を述べた後、龍泉寺に参拝する。この寺は修験道の寺であり今や1300年も続
いており八大龍王をお祀りしたのがその起源であるようだ。神前にて御真言を唱えているとこの寺院の
偉大さが眼前に浮かんでくる・・・それからバスに乗り駅に向かい京都まで行くことにした。
 京都に着くといつも寄っている仏具店に行き刻み香入れを購入した。やはり京都で販売しているものは
どれもその柄や文様が伝統的なもので感心させられるものばかりである・・・その後は仏像店に行き2〜
3体の眷属仏像を購入することになった。この店舗は移転したために少しわかり難かった。
 その後近鉄奈良線で阿倍野橋駅まで行き着いたら高速バスに乗り一直線空港まで行くと帰りの飛行機
の出発時間が迫っていた。
 今回は3日間だけの旅であったが人々の親切さを体験した有意義な修験道の旅であった・・・・・

続く





















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