雑 感   
1                                                                龍神堂本部
 
先日義理の弟が亡くなり突然の不幸に驚き乍も葬儀にも出席した。そして驚きはそれだけ
に留まらず、2つの事に更にびっくりさせられたのである。それは戒名もさることながら、
なんと納骨も葬儀の終わったその日に行われたのである。
 これには唖然とさせられた。予想されたとは言えこのことを来た僧侶に遺族が前もって尋
ねたら、「かまいませんよ」と言ったそうである。なんと愚かな僧がいるものである。
これでは死者は今後永代に迷い続けることになろう。知らぬ者ばかりをいい事に全てを迷信
扱いにして遺族をないがしろにするのである。当然であろう「加行」もしない宗派だから。

 そもそも人は亡くなると49日(七七日忌なななのかき)の間に次に生まれ変わる世界が決ま
る為この49日が設けてある。佛教用語では満中陰忌(まんちゅういんき)と云う。
 人は亡くなるとあの世に直ぐ行くのではなく49日間は家に居ていろんなことを考えたり、
残した子供や家族・妻・恋人・友人のことを考えるのである。また死後七日毎に生前の行い
を確認され(初七日・二七日・三七日・四七日・五七日・六七日)そして最後の、七七日
しちなぬかの49日に閻魔大王の裁きが決まり、次にどの世界に生まれ変わるか、極楽に行く
か地獄に行くかが決定するのである。(六道、輪廻転生の世界)

 それなのに人間の御都合主義や儲け主義の無知蒙昧な派の僧侶によりいつまでもこの世を
さ迷い続ける新仏を送り出しているのである。これらの者が、今の伝統や日本古来の儀式や
文化を壊していき益々核家族化に拍車をかけていくのである。


 
葬儀の日に納骨するのであれば七日法要はどこでどう云う目的で行うのか、不動明王を初
めとする釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観音菩薩・勢至
菩薩・阿弥陀如来・阿閦如来・大日如来・虚空蔵菩薩尊は何のためにいらっしゃるのか?
 亡き人を迷わぬように守り導く為に七日毎に守護して下さるのではないのか?

 戒名にしても、村の為に多大な尽力をし、知人や友人、或いは広大な土地まで提供し地元
に教育の場を開き、人から惜しまれて亡くなったのに院号もつけてもらえず、悔しかったの
ではなかろうかと思う。
 人は亡くなると皆極楽浄土等と云う浅はかな考えに騙され死者を粗末に扱われその因縁が
子々孫々に巡り巡りして不幸な事件や災禍が起きている現実を直視すべきである。

 大切な、大事な人をさっさと墓に納めて追いやり人間様はこの世の事、自分だけの事のみ
考えるような事があってはならないのである。それを助長する僧侶などいらないのである。
知らない・わからない無知蒙昧ほど恐ろしいものはない。
 法事に呼んでお経をあげてもらう時お茶を入れるために席をたつとそこにはもう誰もいな
くてお布施だけは確り持ち帰ってあったと聞く・・・・・・
 また、般若心経を仏壇で唱えるなと言い観音様をも否定するまさしく外道派・・・
 檀家に観音菩薩の御縁日18日に来たが観音経もあげず、よく平気で帰れるものである。

 亡き人に対する粗末な・乱暴な考え方が、このような結果になると観る。
 人は例え300年昔に亡くなった人でも当時の姿で私の前に現われて来る事も多い・・・・
 昔、知り合いの病気見舞いに行った時「火の車が来たぁ、来たぁ」と言って亡くなった人
がいたが、これは何を意味しているのか・・・・人は、自分のしてきた行いにより次に行く
世界が決まっていくのである・・・・・・

 戒名は違うお寺、或いは僧侶に付け直してもらう事は可能であるし、お寺そのものが無知
蒙昧であればさっさと違うお寺に変える事である。そして人の魂(たましい)・亡き人・死者
を大切にすることが出来るお寺に・宗派に変えることこそが、家運が栄えて行く事に繋がり
そして家族に不幸な出来事、悲しい出来事が無くなることに繋がって行くのである。
 そう言えばこの時引き受けていたのは、またもあの葬儀社JA葬祭だった。
遺体の手首を紐で縛ることを平気で行う葬儀屋だった恥ずかしいと思わないか。一体どう云
う魂胆で手をヒモで縛るのか初めて見た、これからもスクープで叩かれることも知らないで。


 何でも迷信扱いにするくせに其の説明も出来ず、霊能力もないので不運や不幸の原因さえ
わからず我々の言う事を全て迷信迷信としたり、何でも先祖のせいにするだけしか能がなく
加行することもなく、無知さに付け込み、死者を粗末に扱う者にお経を読んだり、葬儀や
追善供養を行う資格どころか、法力や験力などかけらも無く「行もしない宗派」などいらな
いだけでなく、仏教離れが益々加速して行くとともに、墓終いなどの珍事も起きている。


 本来もっと長生きできる筈なのに不慮の事故で早死にしたり、耳を疑うような事件に巻き
込まれたり、職場や学校で嫌がらせをうけ苦しんだり、生まれたばかりの子供を死に追いや
ったり、幸福だった家庭が突然崩壊したり、不意打ちを食らうように職を失ったり、大切な
子供が不登校になったり、毎日イジメに遭ったり等々・・・・・・・
 数え挙げればキリがない、当然だろう葬儀の日に納骨するだけでなく初七日に四十九日迄
も同時に行う外道の生臭坊主・・・・・

 このような事例が仏を粗末にしたり、葬式の終わったその日に納骨したり、供養とは名ば
かりの『法力もない者が行う雑法』にて、大事な人生の地獄を味わう事が多いのは5歳から
の経験で実証済みである。

 葬式や供養は『験力を持つ地域の行者や僧侶』に依頼して下さい。でないと必ず、将来に
禍根を残す結果が待ち受けています・・・

 信じない人は構わないが、信じる人には災禍より身を守っていただきたいと思う。
不幸が起きても担当した生臭僧や神官など見て見ぬふりをしていて、金儲けだけしか、頭に
ないのであるから。
 何事も経済優先・カネ・金へと誘導して行くこの腐敗した日本と同じになっている。

                                平成21.9.16記
                                平成27.8.22記
 当祈祷院の忠告も聞かずどうなったか、生臭坊主の雑法で葬儀の日に納骨した家は、今迄
皆で仲良く暮らしていたが今はどうか、家族は離散、公務員の職も辞め住んでいた家も遂に
取り壊しになるとのこと、外道の坊主が何にもわからず只、金儲けを行うためだけの宗派で
他人がどうなろうと知ったことではないのである。

 このような宗派のお蔭で世の中何でもかんでも省略していき終いにはしきたりも分からず
家庭持つにも結納も知らず恥を欠き、帯祝いが何かも知らぬ者、そして最後は家庭は壊れ
奈落の底に堕ちて行くのだ。雑法坊主の起源があの一休だからやはり、飲む・打つ・買うと
三拍子揃った糞坊主だけのことはある。

 
 行もしない法力もあり得ない宗派・盆に呼ぶと3分で帰りお布施だけは少ないと不満を言
う雑法坊主など潰れるべきだ。今後もどんどん墓終まいが続く。
                     平成30年8月14日  記