思い出すままに

 当時の熊本はまだ商店と云っても二つのデパート鶴屋と太洋中心の繁華街であり、勿論銀丁デパー
トもあったが先の二つのデパートの存在感は優位であった。また戦前いずみやデパート、千徳デパートも
あったが戦後はその太洋デパートは1973年11月29日に火の気の無い寝具売り場より出火し全焼し104
人の尊い人々が犠牲となった。
 当時は街占と会社の手伝いをしていたこともあり現場に駆けつけるもなんにも出来なかった。
 それからの防火意識の高まりは目を見張る程に盛んなものとなり県外からも視察と云う名のもとに
熊本には多くの役所や民間からの視察が多くあった。

 県外資本も当時はまだ未達でそれ程ではなく大抵の人は太洋デパートに行くことが楽しみであった。




続く

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